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【 縷々嫋々 】

 

私たちは、世界をありのまま見ていると感じているだろう。

しかし実際には、そのすべてを見ているわけではない。


視線は無数の情報の中から一つに焦点を結び、それ以外を無意識のうちに背景へと退かせている。


見えている景色とは、世界そのものではなく、自らが選び取った認識のかたちなのかもしれない。

 

本シリーズでは、その視覚の在り方を、秋冬に咲く桜を通して探っている。

春の桜は一斉に咲き、誰の視線にも同じように現れる。

秋冬の桜は、まばらに花をつけ、背景の紅葉した葉と共存している。

 

作品では、一部分にフォーカスを合わせ、手前の枝や奥の風景を大きくぼかしている。


何を鮮明にし、何を曖昧なまま残すのか。

写真においてピントを定めることは、私たちが現実を捉える営みにどこか似ている。

その選択は無意識のようでいて、実は最も自分らしい意思なのかもしれない。

ぼけた部分はないわけではない。

ただ、いま焦点の外側にある存在である。

 

ピントを変えれば、景色は別の姿になる。

同じ桜でありながら、別の物語が現れる。

同じ人生でありながら、別の意味が生まれる。

世界は変わらない。

変わるのは、知覚の働きそのものなのである。

 

私たちは、見たいものだけを見ているのではない。


経験や記憶、価値観によって形づくられた無意識の選択を通して、自分だけの世界を見ている。

何を見て、何を見落としているのか。

一つの風景の中には、決して一つではない見え方が存在している。


見ることは、現実を受け取る行為ではなく、世界が現れるてくることなのかもしれない。

 

Dec. 2024