亜麻
亜麻
紅藍
紅藍
銀灰
銀灰
千草
千草
深緋
深緋
黄丹
黄丹
白群
白群
支子
支子
花葉
花葉
蘇芳
蘇芳
浅葱
浅葱
瑠璃
瑠璃
撫子
撫子
琥珀
琥珀

【 audelàma 】

 

本写真シリーズは、撮影地である種子島の海水から抽出した塩と、現地の卵を用いて作成したアルビューメンプリント(鶏卵紙)で、水平線により海と空を二分する風景を通し、「見る」とは何かという根源的な問いを探るものである。

 

作者は水平線を見つめ続けるなかで、視線が外界を捉えるだけではなく、自己の内側へと向かい、意識の層を揺らし続ける働きをもつことを体感した。海も空も、時間、気象、場所によって絶えず姿を変え、その変化に呼応して、見る者の意識もまた移ろう。水平線は彼方へ伸びる境界であると同時に、意識を現実からそっと離し、感覚と記憶の深層へと導く契機となる。遠方を見つめているだけのようでいて、視線はいつの間にかその“先”に滲み出し、空想の領域へ移行する。ふと我に返る瞬間、遠く空のはるか先と、近く砂浜に打ちつける波音が合わさるような、心と目の焦点が重なる。世界と自己の境界がわずかにほどけ、意識が解放されることがある。

本作における水平線は、遠くと近く、意識と無意識、現実と非現実が交差する「間(あいだ)」として存在する。海を眺めていると、「自分は何を見ているのか」という問いが自然と立ち現れる。「今ここで海を見ている私」という認識、さらにその認識を意識する自己が存在する。それは、まるで私ではない別の何かが私と海を共に臨んでいるかのような感覚である。ただ、自己を観察し続けることは容易ではない。観察が途切れた瞬間に生まれる無意識の視線の流れは、風景の特定の断片に焦点を与え、新たな世界像を浮かび上がらせる。こうして「見る」ことは、単なる視覚的認知ではなく、記憶、感情、想像、無意識が絡み合う動的なプロセスとして立ち現れる。

鶏卵紙を用いることは、こうした意識の行き来を視覚的に支える重要な要素である。海水から得た塩は撮影した風景そのものと同調し、卵白の光沢、紙への柔らかなにじみは、境界が揺れる意識の状態を反映する。土地の物質を編み込みながら、視覚経験そのものに固有の深度を与えるプリント媒体である。

 

作品名『audelàma』は、フランス語の“voir au-delà(その先を見る)”と、日本語の「間(ま)」の概念を組み合わせた造語。

水平線というシンプルながら不可思議な風景を通じて、本作は「見る」という行為の奥行きと複雑さ、そして意識が世界と触れ合う瞬間に起こる静かな変容を明らかにしようとする。鑑賞者が作品と向き合うことで、心がどこかへ漂い、束の間の解放を経験し、再び自己へと帰還する、そのような内的な往還を許す場として、『audelàma』は存在している。

~2024